書評<信仰が人を殺すとき>
信仰が人を殺すとき UNDER THE BANNER OF HEAVEN
ジョン・クラカワー John Krakauer
宗教の非合理な教義を信じることと、病的な妄想はどこが違うのか?本書はモルモン教原理主義者による残酷な殺人と、モルモン教の歴史を丹念に追うことによって、人と宗教の関係を問うノンフィクションである。
モルモン教は、アメリカで近代に発生した宗教の中では、もっとも成功し、信者を増やしている宗教だそうである。だが、その選民思想と「一夫多妻制」をはじめとした一般には受け入れがたい教義が原因とした、一般市民との摩擦をしばしば起こし、西部開拓時代にはインディアンと偽った信者による虐殺事件を起こしたりしている。その後、「一夫多妻制」など危険な教義を捨て、酒・カフェイン・タバコなど俗なモノは一切禁止、ぐらいが一般的に知られているモルモン教となっている。。だが現在でも「一夫多妻制」をはじめとして、過去の教義にさかのぼって信仰する”原理主義者”たちがいる。それゆえ、フローチャートにしないと理解できないような血縁関係、小児性愛といった問題を生んでいる。
こうしたモルモン教の歴史と並行して、本書では原理主義モルモン教徒のラフティ兄弟の殺人を追っていく。妻との別離の原因となった(と思い込んだ)女性とその幼い子供を無残に殺害したのである。本人の証言を元に、彼らがなぜ”ただの狂信者”が”殺人者”に変わったのかを探っていく。そして逮捕後の裁判では、ラフティ兄弟の弁護士と、検察側が用意した医師や学者により、”狂信と精神障害の狭間”が明らかにされていく。
個人的な興味から、宗教絡みの事件については、オウム真理教はじめとしてワイドショー目線でいろいろ見てきているが、今にいたるまでも他者を傷つけるほどの”狂信”を理解できたことがない。自分がオタクという”愚かな消費主義あるいは物質主義者”であることも関係していると思う。本書はモルモン教という、近代宗教ゆえ事細かな歴史的事実を拾うことが可能であることを生かして、宗教が凶行に結びつく背景を、膨大な事実を積み重ねることによって説明しようとした骨太なドキュメンタリーになっている。著者の主観・分析と、事実を分けてある点でも、個人的な偏見が入りがちな宗教絡みのノンフィクションの中にあっては好印象である。
キリスト教やイスラム教といった現在の世界的な宗教も、過去には信者と一般人との摩擦を起こしてきたが、”危険な教義”を捨てることで世界に受け入れられてきたのだと思う。まるでその教義を復活させるような、あらゆる宗教の”原理主義”の台頭は共産主義など”科学的な”イデオロギーが廃れたためか、あるいは物質文明が行き着くところまで行ってしまった反動なのか?そんなことを考えさせるのが本書である。
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» 「信仰が人を殺すとき」 [がりょう庵夜話]
待望のジョン・クラカワーの著作「Undee the Banner Of Heven」が邦題「信仰が人を殺すとき」として出版された。昨年の今頃だっただろうか、河出書房新社から出版の予定を聞いてそれから心待ちにしていた。
この本がアメリカで出版された時、モルモン教団の反応はすさまじかった。取り上げられた人物はモルモン原理主義者であるから、「正統モルモン教会とは無縁」と言っていたが、本の内容が教祖ジョセフ・スミス、継承者ブリガム・ヤングの教え自体に及ぶものだとなると、「著者クラカワーは作家であって、... [Read More]
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