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2006.01.27

奇跡の人、我が弟

草野球好きのオヤジが、なぜグローブよりプラモデルをオレに与えたのかは分からない。が、3歳ぐらいのときに、タミヤのMMシリーズを組んでいた、かすかな記憶がある。まだパクトラタミヤのころだった。
4歳のある日、オレはいつものごとく、プラモを弄っていた。確かアオシマの”親子シリーズ”。飛行艇の後部ランプから、また小さい飛行艇が出てくる、かわいいヤツだった。オヤジは愛車の日産サニー・ハッチバックを洗車していた。いわゆる平和な日常、というやつだが、父がにわかにあわてて、オレをサニーに乗せた。オヤジは洗車の時に履くゴム長靴のままだ。早産の恐れがあって入院していたオフクロが産気づいたらしいのだが、幼いオレが事情がよく飲み込めているはずもない。
病院につくと、とりあえず待機、ということになり、親父はプラモの箱を持ったままのオレを病院の中庭に連れ出した。作業を中断させられていたオレは当然、作業を再開。いわゆる青空モデリングだ。だがその平穏は長く続かない。わずか1200gの胎児、オレの弟が生まれようとしていたのだ。お気楽に青空モデリングを楽しむオレたち父子を見つけた看護婦が、烈火のごとくオヤジを叱っていた光景を今でもハッキリ覚えている。なにしろ今から30年前のことである。1200gの未熟児が生き延びる確率は相当低かった。生存できたとしても、いろんな障害が心配された。


10数年後、弟は無謀にもオレの後を追って地元の進学高校を受験、見事合格する。
さらに3年後、大学のサークル合宿で女をくどいていたところに、弟の大学合格の一報という邪魔が入る。
さらに時を経て、弟はアニキより先に結婚することになる。

オレは生まれたところを遠く離れたが、プラモを作り続けている。


BlogModelersフォーラムのみなさんの自己紹介を見て、思い出したのはこんなハナシ。もちろん、盆正月に親戚が集まったときに繰り返されるエピソードであることはいうまでもありません。

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