« 北朝鮮が6回、弾道ミサイル発射 | Main | F-35の公式ニックネーム決定 »

2006.07.07

書評<フェラーリが見たニッポン>

クルマの女王・フェラーリが見たニッポン
清水 草一
スーパースポーツの代名詞であり、ハイソサエティの道楽グルマの代名詞であるフェラーリ。かのクルマは、日本市場において、どのような客が購入し、その立ち位置はどのように変化してきたのか。フェラーリの魔力にとりつかれ、それを負い続けた交通ジャーナリスト、清水草一がその歴史を追う。
ヨーロッパにおいて、貴族と大富豪の象徴であったフェラーリ。それが日本に入ってきたのは1960年代。日本においても、やはりフェラーリは富豪の所有物であった。70年代に入り、スーパーカーブームが起こっても、それは子供たちのものであり、実際のフェラーリ販売には結びつかない。当時の日本はビンボー人のオレから見てもとてつもない累進課税制度で、さらに物品税が重なり、会社オーナーなど、本当の富豪でないと購入できるようなシロモノではなかった。80年代、時代はバブルに向かう。”ジャパンマネー”はフェラーリはじめスーパースポーツカーにも向かい、それは投機対象になった。そしてバブル崩壊。日本に残されたのは輸入された大量のフェラーリと、子供のころにスーパーカーブームの薫陶を受けた大人たちであった。そしてフェラーリは野に下る。
文章自体はギャグ交じりの軽妙な語り口でスイスイと読めるが、ここに描かれているのは戦後史の一面そのものだ。ごく一部を除いて、社会主義国も真っ青な平等社会が実現していたゆえ、別世界のモノであったフェラーリ。それがバブルに向かう中で、世界から買い漁る立場になる。89年、日本車も一応は世界に追いつき、”ジャパン・アズ・ナンバーワン”と勘違いし、持てる者はなんでもいいから、高価なモノを求めた時代。そして今、フェラーリは相変わらず夢の高級車ではあるが、決して手の届かないクルマではなく、本当に好きな人が努力して買えるクルマになった。その一方で、軽自動車が売れ行き好調で、道具としてクルマを割り切る人たちがいる。個人が必要なモノ、こだわるモノを判断する時代。
レクサスなどというニセモノではなく、フェラーリというホンモノの女王。今現在、日本の女王たちは幸せであるのかどうか。それをどう考えるかで、現在の日本を評価できるといっても、過言ではないと個人的には思う。

初版2006/07 講談社/単行本

« 北朝鮮が6回、弾道ミサイル発射 | Main | F-35の公式ニックネーム決定 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment

Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.

(Not displayed with comment.)

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 書評<フェラーリが見たニッポン>:

« 北朝鮮が6回、弾道ミサイル発射 | Main | F-35の公式ニックネーム決定 »

My Photo
September 2019
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

Twitter


無料ブログはココログ