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書評<フェラーリが見たニッポン>

クルマの女王・フェラーリが見たニッポン
清水 草一
スーパースポーツの代名詞であり、ハイソサエティの道楽グルマの代名詞であるフェラーリ。かのクルマは、日本市場において、どのような客が購入し、その立ち位置はどのように変化してきたのか。フェラーリの魔力にとりつかれ、それを負い続けた交通ジャーナリスト、清水草一がその歴史を追う。
ヨーロッパにおいて、貴族と大富豪の象徴であったフェラーリ。それが日本に入ってきたのは1960年代。日本においても、やはりフェラーリは富豪の所有物であった。70年代に入り、スーパーカーブームが起こっても、それは子供たちのものであり、実際のフェラーリ販売には結びつかない。当時の日本はビンボー人のオレから見てもとてつもない累進課税制度で、さらに物品税が重なり、会社オーナーなど、本当の富豪でないと購入できるようなシロモノではなかった。80年代、時代はバブルに向かう。”ジャパンマネー”はフェラーリはじめスーパースポーツカーにも向かい、それは投機対象になった。そしてバブル崩壊。日本に残されたのは輸入された大量のフェラーリと、子供のころにスーパーカーブームの薫陶を受けた大人たちであった。そしてフェラーリは野に下る。
文章自体はギャグ交じりの軽妙な語り口でスイスイと読めるが、ここに描かれているのは戦後史の一面そのものだ。ごく一部を除いて、社会主義国も真っ青な平等社会が実現していたゆえ、別世界のモノであったフェラーリ。それがバブルに向かう中で、世界から買い漁る立場になる。89年、日本車も一応は世界に追いつき、”ジャパン・アズ・ナンバーワン”と勘違いし、持てる者はなんでもいいから、高価なモノを求めた時代。そして今、フェラーリは相変わらず夢の高級車ではあるが、決して手の届かないクルマではなく、本当に好きな人が努力して買えるクルマになった。その一方で、軽自動車が売れ行き好調で、道具としてクルマを割り切る人たちがいる。個人が必要なモノ、こだわるモノを判断する時代。
レクサスなどというニセモノではなく、フェラーリというホンモノの女王。今現在、日本の女王たちは幸せであるのかどうか。それをどう考えるかで、現在の日本を評価できるといっても、過言ではないと個人的には思う。

初版2006/07 講談社/単行本

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