書評<マスコミは何を伝えないか――メディア社会の賢い生き方>
テレビや新聞といったマスコミの取材姿勢に批判が集まるようになって久しい。事件の当事者あるいは親族に大量の取材者が押しかけるいわゆるメディア・スクラム。警察発表と状況証拠から犯人をメディアが決定して追いかけたあげく、誤報となるケース。テレビ取材の現場にいる著者が、そのような報道被害が生まれる過程を明かしていき、どのような解決策があるかを提案していく。また、巨大過ぎて身動きが取れなくなっている従来型メディアのオルタナティブとして、ネットを媒介とした市民メディアがいかに育っていくべきかを提案していく。
長年”2ちゃんねるvsマスゴミ”の罵り合いをウォッチしてきたネットの傍観者としては、やや不満の残る内容である。それはこの本の前提としてヤラセなどの”悪意の報道”をはじめから排除し、マスコミの善意からとまではいわないまでも、視聴者が求める情報を得ようとする結果としてのメディア・スクラムを論じているからであり、こちらが知りたいのは”悪意の報道”だからである。スポンサー、思想信条、国家の統制による”介入”による「マスコミが伝えない何か」を知りたいからこそ、我々はマスコミを毛嫌いし、ネットに潜っていく。
”悪意のない報道”に関しては、本書で解決策が探られているが、情報の受信側が受信レベルを上げていくしかない、と個人的に思う。本書の著者には申し訳ないが、マスコミには情報の発信者としての自覚がない方が多すぎると思う。とんちんかんな質問をするインタビュアー、ほぼ”陰謀論”を垂れ流すコメンテーター、「我々に分かるように説明してくれ」と自らの知的レベルを上げようとはしない記者。これらを淘汰するには、受信側がいわゆるメディア・リテラシーを上げるしかない。ググるのは良い。問題は検索結果をいくつ読むかである。
本書の後半のメインテーマである市民メディアに関しても、個人的には大きな期待はできないと思う。それはネットでの多くの失敗例が証明している。オーマイニュースなど見ても分かるが、マスコミ以上に情報にバイアスがかかるうえに、考察が浅くなる。ネット時代の良いことの1つは、世の中にいる膨大な”アマチュア専門家”の存在を知らしめたことであり、市民メディアで知った風な記事を書くと、あっという間に激しい反論にあう。今のところ、これが現実だ。
ということで、本書に書かれていることはあくまで理想論であり、情報について自分の持つ考えと比較し、考察しながら読むうえでは、非常に役に立つ参考書であることは確かである。
初版2010/09 岩波書店/ソフトカバー
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