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書評<009 RE:CYBORG>

2013年、世界各国が誇る高層ビルが連続して爆破されるテロが起きる。まったく犯人の影がみえない連続テロに人々は恐怖する。状況を打開するため、かつて世界を救うべく開発され、その後母国へ帰還した高性能サイボーグたちを、開発者であるギルモア博士が再結集させようとしていた。サイボーグたちはどのような行動をとるのか?果たして、テロの真犯人は?「サイボーグ009」の新しい物語が始まる。
ただいま公開中の神山健治監督作品<009 RE:CYBORG>の監督本人によるノベライズ。以下、映画も含めてネタバレありで感想を。


本来、この作品は押井守監督・神山健治脚本の映画になるはずだったそうだ。それが押井守監督の例によって分かりにくい主張が原因となり、押井氏と神山氏は仲違いし、神山氏が監督も務めることになったと、<アニメスタイル>のインタビューに掲載されている(押井氏は別の媒体で、主に作画の問題と答えている)。神山氏からのラブレターに、押井氏は答えることはなかったとするこの発言を読み、真実を知るには作品を見るしかあるまいと見に行ってきて、脚本代わりにノベライズを読んでみた。結論として、神山氏は”押井カントクの弟子”ではなく、我々と同じく”オレたちが好きだった押井カントクのファン”だったのでなかったかと思う。
一般に押井監督作品で評価が高いのは<ビューティフル・ドリーマー>から<攻殻機動隊>あたりまでではあろう。ループする時間。ミリオタであることと学生運動の経験からくる戦争観と国家観。ネット創成期にその後を予言するような世界観。神と人間の微妙な関係。そういった要素に我々はシビれた。<009 RE:CYBORG>はそういった”オレたちが好きだった押井作品”の要素がふんだんに盛り込まれている。パトレイバー劇場版からセリフがそのまま引用されているほどだ。
だが、本当の押井カントクはもっと狂気に溢れていて、過剰に映画人であった。名の知れたアニメ監督の一人となり、原作や予算の呪縛から解かれ、自由にタクトが振るえる立場になると、一般的なオタクが許容できる以上の作品性が強く出ることとなる。いい悪いは別にして、神山監督にそこまでの”狂気”はないのだ。押井カントクを模倣するにしても、さきほど述べた”オレたちが好きだった押井作品”以上のものはない。そういう意味で「押井監督のために書かれた神山監督脚本」である<009 RE:CYBORG>は、押井監督作品でもなく、神山監督作品でもない、ハンパなものになってしまっているのだ。もちろん、イマドキの劇場版アニメなので、破綻はないのだが。
異論はもちろん認める。あくまで、一人の押井カントク信者の感想だ。
ちなみに、他の009作品の知識がないに等しいので、石の森作品との関係はよく分かりません。

初版2012/11 角川書店/ソフトカバー

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