映画「ゼロ・ダーク・サーティ」を見てきた
9.11同時多発テロの首謀者であるビン・ラディン殺害作戦の”真実”にせまったとされる映画「ゼロ・ダーク・サーティ」を見てきました。以下、ネタバレありで感想を。
自分も、COMBAT MAGAZINEに掲載されていた、4つ目のナイトビジョンを装着したSEALS隊員のグラビアのインパクトに負けて映画館に足を運んだクチですが、実際には徹頭徹尾、CIAのビン・ラディン捜索作戦を描いた映画です。
映画全体の印象は”フラット”であること。CIAの女性アナリストを主人公に据えていますが、ヒロイン然としているわけではない。彼女は同僚の爆死をきっかけに、上司にすら強烈なプレッシャーをかける執念の追跡を続行するわけですが、彼女に感情移入させるような意図的なカットはさほどありません。それに彼女は確かに優秀ですが、拷問、買収、電子的諜報手段などで得た情報を繋ぎ合わせるアナリストに過ぎないのです。彼女の所属するCIAという組織も、その諜報能力を過剰に強調するわけでもなく、腰の重い官僚的組織であることをことさら批判するわけでもない。映画らしいカタルシスを感じさせる”演出”が非常に抑えられていながらも、152分という長い上映時間を退屈させず緊張感を保つ、不思議なバランスの映画です。
それはビン・ラディン追跡の最終章である”オペレーション・ネプチューン・スピア”、ビン・ラディンの邸宅突入の場面も同じ。SEALSの隊員は唯一、ステレオタイプな人物に描かれていますが、作戦はことさらスピーディに進むわけでもなく、完全な秘密作戦でもなかった”真実”が描かれています。
そういう意味で、アカデミー各賞にノミネートされていながら獲得なしなのも納得できます。例えば、問題になった拷問に関しても残酷な描写がありますが、彼女がビン・ラディンにせまるきっかけとなる情報を獲った手段でもあるわけで、否定的でもあり肯定的でもある。政治的な立ち位置がはっきりしないため、扱いが難しいのでしょう。
いろいろ書き連ねてきましたが、見る価値のある、退屈しない映画であることは確かです。良質なドキュメンタリーを見た後に感じる感情と似てる気がします。
最後に個人的に気になることを2点ほど。CIA長官だけやたら乱暴な言葉の日本語字幕がついているのですが、粗野な喋りで有名な人だったのでしょうか?それと、墜落した例のステルス・ヘリを爆破しようとSEAL隊員が機体によじ登ったあげく、ヘリの外板を足でぶち抜いてコケるシーンがあるのですが、ステルス・ヘリが本格的な特殊部隊専用機ではなく、一時的にステルス性能を保持するためにでっち上げたハリボテに近い機体であることを示唆しようとしているのでしょうか?なんかこういう感じで、いろいろと伏線が隠されている気もする映画です。
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