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書評<ドイツの脱原発がよくわかる本: 日本が見習ってはいけない理由>

東日本大震災に起因する福島第一原発の事故により、日本の原発を取り巻く状況は大きく変わった。震災から4年、発電している原発は一基もなく、再生可能エネルギーの利用を促す法律が制定された。そこで参考にされたのが、ドイツの制度である。多くの原発反対派がその拠り所にする参考例もまたドイツである。本書はドイツ在住の著者が、ドイツのエネルギー事情の”不都合な真実”を解説し、日本が決して模倣できるものでないことを説明していく。

当方、九州は福岡市に勤め、北部九州を担当する営業職だが、九州の山間地に目につくようになってきたのが大量の太陽電池パネルの列だ。里山や棚田を切り崩し、太陽電池パネルが設置されたその風景は、異様な印象を残す。とても”自然に優しい”再生エネルギーを発生する風景とは思えないのだ。
そんな個人的な印象の裏付けとなるのが本書である。ドイツは脱原発を宣言し、再生可能エネルギーの比率を高めた環境保護先進国である、というのが一般的な印象だ。しかし、天気まかせ、風まかせの再生エネルギーをカバーするために、石炭・褐炭火力発電所を増加させ、二酸化炭素排出量を増加させる。ピーク時の無駄なエネルギーは近隣国に買い取らせる。風力発電の最適地域と工業地帯のような大電力消費地帯が離れているため、ムダな送電設備を構築しなければならず、そのために森を切り開かねばならない。こうなると、環境保護とは何か、根本から見直さなければならないと感じるのは、当方だけではないだろう。
現に、ドイツのエネルギー政策は連立政権の行き先次第では、原発稼働という手のひら返しの可能性も大きいという。

本書は冒頭に、ドイツの反原発運動は日本のそれと違い、長く粘り強く、それを党是とする党が国会で一定の力を持つと説明する。反原発、反集団的自衛権法案、反安倍政権と流行の変化のように運動の矛先を変える日本のサヨクの人たちとは覚悟が違うのだ。手早く読める本であるが、本書から学べることは多い。

初版2015/04 草思社/ソフトカバー

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書評<小惑星探査機「はやぶさ2」の挑戦>

小惑星探査機「はやぶさ」の困難な地球への帰還のドラマは、宇宙に関するサイエンスに興味を持つ人だけでなく、多くの一般的な日本人を魅きつけた。その科学的成果は誇るべきものであったが、困難な旅となった原因は、日本の宇宙開発の事情によるところも大きい。
本書は、その「はやぶさ」の後継機となる「はやぶさ2」の開発の経緯を、解き明かすものである。「はやぶさ2」は「はやぶさ」の後継機ではあったが、その開発の過程は決して平坦なものではなかった。計画自体は「はやぶさ」の帰還より前に始まっていたが、本来は予算獲得などの援護射撃となるはずであった「はやぶさ」の帰還の後も、計画には紆余曲折があった。その紆余曲折の原因は何か?開発に関わったサイエンティストや技術者へのインタビューにより、そのことを探っていく。

小惑星探査機「はやぶさ2」に関する解説書は多数あるが、本書は「はやぶさ2」そのものの技術的開発の分量は少なく、本題はむしろ開発の過程におかれているように思う。もっといえば、その過程を精査することによって、日本における宇宙開発の問題をあぶり出すことも、主題の1つだろう。そのことを、宇宙探査計画のPM(プロジェクトマネージャー)など複数の方々へのインタビューをうまく構成し、読者への理解を促している。
例えば探査衛星開発のコンセプト段階における「理学と工学の主導権争い」なんかは、非常に興味深い。ロケット開発が先か、宇宙の学術的な調査目的の作成が先か、考えてみれば重要なことなのだが、通常は”フロンティア・スピリッツ””人類未踏の地への挑戦”とかで一般にはアピールされるだけだ。曖昧な目標では予算は動かない。日本の宇宙開発の現場ではどんなことが考えられ、どんなことが検討され、それが計画となっているのか?本書の中では「はやぶさ2」は例示に過ぎない、と言ったら言い過ぎかもしれないが、そこが「はやぶさ2」を扱った類書との違いであろう。


初版2014/09 日経BP社/ソフトカバー

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書評<人類五〇万年の闘い マラリア全史>


人類は太古から多くの感染症と戦ってきた。人類は病原菌やウイルスに多くの犠牲を払ってきたが、公衆衛生と医療の発達により、致命的ないくつもの感染症に勝利をおさめた。ペスト、天然痘、赤痢など…。しかし、マラリアは古くからその脅威が認識されたながら、克服を宣言できない感染症の1つである。本書は、マラリアという病の特徴を明かし、50万年もの人類とマラリアとの戦いの記録である。

ある種の蚊を媒介として、複雑な感染経路を持つマラリアは、熱帯地域の主要な感染症であり続けている。国家を滅ぼすほどの脅威であり、多くの人類の運命を変えてきた。マラリアは、人類のDNAを書き換えてしまうほどの脅威だったのだ。本書はそうした歴史を解明していく。なので、サイエンスの分野のノンフィクションであるが、感覚としては歴史書を読んでいるような印象を残す。そうして、最後は公衆衛生の改善やキニーネなどの治療薬の開発など、いくつも克服のターニングポイントがありながらも、マラリアはいまだ克服されていない現状につなげていく。
マラリアの流行は公衆衛生の改善で劇的に低下させることができ、完全とはいえないが予防薬や治療薬もある。そのことが、かえってマラリアという感染症の克服を難しくしていることを本書は明かしていく。
例えば、本来ならマラリアが流行してもおかしくない気象状況の日本で、その流行がないのはなぜか?マラリアは人類が抱える矛盾の一部を端的に示す病である。そんな思いを巡らすことのできる、良質なサイエンスのノンフィクションである。

初版2015/03 太田出版/ソフトカバー

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書評<地上最後の刑事><カウントダウン・シティ>

小惑星の地球衝突が確実となり、人類の存続が残り3ヵ月となった地球。緩やかに社会が崩壊しつつあり、秩序が崩れつつあるなかで、一人、刑事としての矜持を守る男がいた。「自殺」と簡単に処理してもまったく問題ない事件を、彼は執拗に追う。

形式的には一人称・現在完了形を多用する典型的なハードボイルド・ノベルだが、「小惑星衝突が迫った社会」という舞台を設定することで、特異な物語を紡ぎ出すことに成功している、稀有なミステリーだ。小惑星の確実な衝突という死の予告により、社会が緩慢な死に向かっている状況が、犯罪の謎を深め、人々の心理は自暴自棄にさせ、犯罪捜査を難しくしていく。ギリギリの理性を保つ人間、保てず、異常な行動に走る人間。犯罪捜査の教科書がまったく役に立たなくなった社会。そんな舞台設定だからこそ、人間の尊厳と矜持を保ち続ける主人公の姿が、よりクリアになっていく。
今回読んだのは、3部作の第1部と第2部。犯罪ミステリーでありながら、舞台設定はSFである本シリーズは、1部と2部で確実な死を予告されている人類と文明社会の崩壊の過程と、犯罪ミステリーとしての物語の分量は変わりつつあり、そのバランスも絶妙だ。本シリーズの最終作の発売が待ち遠しい。


初版2013/12・2014/11   早川書房/kindle版

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書評<世界の半分を怒らせる>

雑誌や書籍が売れない世の中、作家個人やジャーナリストが個人メルマガで自分の作品や意見を発表することが流行しているが、本書もその流れにのって、押井守監督が発信しているメルマガをまとめたもの。ときの映画作品や事件、あるいは日本人の歴史観など、押井守カントク独特の理論が展開される。

押井守信者として、メルマガ発刊はもちろん知っていたのだが、1冊の本になるくらいまで続くとは思いませんでした。ごめんなさい。
それはともかく、本書は世間の出来事に対して、押井守理論を展開するものである。カントクがこれまでの著作で発表してきた価値観で事件や作品を論評していく。以前の類似のエッセイと少し違うは、カントクが通っている空手の先生、あるいはお気に入りの作家、兵頭二十八氏の意見をよく取り入れていることだろうか。
それと面白いのは、TPPに関して、日本の稲作へのこだわりを看破するところ。賛否はあると思うが、日本人の価値観のベーシックの1つを改めて教わった気がする。

初版2015/04 幻冬舎/kindle版

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書評<毒殺―暗殺国家ロシアの真実>

帝政ロシアからボルシェビキによる革命によるソ連の成立時、不安定であった革命政府を維持するために、レーニンはじめとする共産党の幹部たちはしばしば、政敵や政府にとって邪魔になる人物を”毒殺”することを選択した。それはソ連が解体し、ロシア連邦に国家体制が変わった今でも変わらない。本書はロシアのときの最高権力者による”毒殺”を調査研究し、ロシアの歴史の暗部をあぶり出す。

本書を読むにあたってのハードルは、注釈付きで登場する、多くのロシアの歴史上の人物たちを把握することだろう。もっとも、その人物たちの多くは”毒殺”されてしまうわけだが。
それはともかく、本書はロシアの近代史がいかに暗殺によっていろどられてきたかを描きだすノンフィクションである。スターリンによる粛清は、世界史の中でよく知られるところだが、権力者たちの争いのなかで、簡単に処刑やシベリア送りに出来ない場面も出てくる。そこで最高権力者たちが選んだのが”毒殺”であった。自然死を装うため、殺人の証拠を残さぬため、多くの人物が毒殺された。”毒殺”を極めるため、KGB内外の建物で、放射性物質を含む多くの毒物や、それを人体へ注入する方法が研究された。毒殺を用いるのは、権力争いだけではない。ジャーナリストや”足を洗った”工作員など、政権にとって邪魔な人物を排除することを、レーニン以来、ロシアの権力者たちは躊躇しなかった。それはプーチンの時代になっても変わらない。著者もロシアのジャーナリストであるが、友人たちの多くを失っている。
”邪魔者には死を”という手段をとっていない歴史上の権力者など、おそらく一人もいないだろう。だが、ロシアのそれはあまりに被害者が多く、現代に続いていることも特殊である。本書はそれを強く感じさせる。

初版2014/08 柏書房/ハードカバー

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