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2017.10.31

書評<誰も語らなかったジブリを語ろう>

現在、アニメの制作スタジオとしては活動停止しているスタジオジブリ。批判されることが少ない宮崎駿、高畑勲両監督を中心としたスタジオジブリ作品であるが、宮崎駿のケンカ仲間でもある押井守監督が、褒めるところは褒め、けなすとかはけなす。本音で語るジブリ作品批評である。

当方、押井守信者だが、実は他人の映画を語る押井守が一番面白いのではないかと前々から思っている。なので、TVブロスの連載をまとめた本書の発行は嬉しい限り。連載の再録なので、批判と賞賛は繰り返される傾向にある。演出家であり映画監督である監督から見た宮崎駿作品は、映像最高、演出と脚本最低、といったところであろうか。初期の作品、「ナウシカ」「ラピュタ」あたりまでは比較的、宮崎駿の作家性で売り出そうとした作品ではないのでその矛盾はそうそう浮き出てこないが、宮崎駿とスタジオジブリがビッグネームになるに従い、良くも悪くもプロデューサー鈴木敏夫のコントロールが効かなくなっていく。作家性で売り出したゆえに、その作家性が前面に出ると、映画としては稚拙になっていく。それでも映画が売れたのは、映像の美麗さとブランドの確立ゆえ、というのが押井守監督の分析だ。こうした視点の批評を、ジブリのもう一人のビッグネームである高畑勲と、その他監督作品にも重ねていく。
本書が面白いのは、作家性の発現を批判しているのに、押井守監督自身もその作家性の発現に無自覚なところだ。いや、本人の中では整理がついているらしいのだが、監督に心酔してるファンでさえ「それは違うだろ」と感じてしまう。結果的に、自分の作品とも向き合っている監督のジブリ批評、アニメファンなら必読だ。

初版2017/10 東京ニュース通信社

2017.10.30

書評<洞窟ばか>

人類未踏の地に踏み入れることに無上の喜びを覚える探検家はいろいろいるが、本書の著者は洞窟の探検家である。自然の地震活動の賜物である洞窟は大きさ、深さとも千差万別で、危険も多い。本書は著者が洞窟探検家となった経緯、著者が洞窟探検団体を立ち上げた経緯などを紹介しながら、洞窟探検の実態を紹介していく。

本書は洞窟探検家のパイオニアである著者の自叙伝である。そのあまりあるエネルギーを洞窟探検に向け、ときに命の危険を冒しながら洞窟の奥へ奥へ進んでいく動機と、世界へ進出していく様を綴っていく。洞窟探検の実態は確かに興味深いが、著者の信念が延々と綴られるラスト付近は、少し説教くさく、暑苦しく感じるのもまた事実である。パイオニアである人物の自叙伝ゆえ、ある種の啓発書になっているのはしょうがないとは思えるが、深部洞窟への招待状としては、少し不足気味であることは否めない。

初版2017/01 扶桑社/kindle版

2017.10.29

書評<売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ>

三重県の志摩半島周辺に位置する渡鹿野島は、”売春島”としてもそのスジでは有名であった。売春が当局に黙認されているわずかな地域の1つである渡鹿野島であるが、人身売買された女性が海を泳いで脱出をはかったこと、元警察関係者が置屋と呼ばれる売春婦たちを管理する店舗運営に関わっていたなど、実態不明なウワサには事欠かない渡鹿野島について、著者はその歴史と現状を探っていく。

この手のスキャンダル本というか暴露本は数あるが、本書はそれらとは一線をかす。廻船が行き来していた江戸時代まで売春島の歴史を遡り、そのうえで戦後からの売春島の興亡をレポートしているからだ。売春島が最盛期だったときを知る中心人物(暴力団関係者を多く含む)を探し出し、小さな島に8階建てのホテルを建てるまでになった経緯を探り、それが没落していった理由を探っていく。都会の風俗街とはまた違う歴史を背負った島の記録は興味深い。
そして本書は、ただの過疎の島しょ部になりつつある島の現在もレポートし、それを建物や土地の固定資産税評価額制度の矛盾にまで繋げていく。日本のねじれた社会の興味深いレポートである。

初版2017/08 彩図社/ソフトカバー

2017.10.28

書評<永遠のPL学園~六〇年目のゲームセット>

高校野球のファンや関係者ならずとも、高校野球の強豪としてPL学園を知らぬものはいないだろう。しかしながら、PL学園野球部は、昨年から休部しており、その栄光は過去の彼方となった。部内での暴力事件が直接の引き金ではあるが、背後には宗教団体のPL教団の動きも大きな要因となっていた。高校野球の象徴であったPL学園野球部の興亡をさぐる。

旧態依然の体育会系の象徴でもある高校野球。指導者のシゴキ、部員の激しい上下関係など”時代遅れ”の象徴であり、度重なる暴力事件を起こしたPL学園野球部はその典型であった。プロ野球関係者など、それが人生のプラスに働いた人間には美しい思い出であろうが、そうでなかった人間の方が多いのではないか。それが時代の変化により、表舞台に頻出するようになってしまった。それが野球部の実質的廃部の一因には違いない。
だが、興味深いのは、本書のもう一つの主題である、PL教団そのものの興亡の実態であろう。カリスマで信者を集めた教祖が亡くなる。貧しく、頼るところが宗教であることも多かった時代から、経済成長し変わる社会。PL教団の象徴たる野球部が、教団の衰退とともに弱体化していくのもむべかるかな、である。せまい世界に閉じこもっていく宗教団体に、外に開かれた”宣伝媒体”はもはや必要なくなったのだ。
日本のスポーツの位置づけが変わる中で、旧態依然の体制を変えることが出来なかった野球部と、時代にそぐわなくなった宗教団体。弱者を救うはずの団体が、自分たちにそぐわないものを排除していく団体に変貌、そして衰亡していく姿が描かれた、すぐれたノンフィクションである。


初版2017/03 小学館/kindle版

2017.10.10

書評<フェラーリ メカニカル バイブル>

スーパーカーの象徴たるべき存在であるフェラーリの各車。車両本体も高価であるが、そのパーツや修理代金も高価であることでも知られる。それは信頼性の低さと裏返しということでもある。果たしてその実際はどうなのか?オールドフェラーリから最新のフェラーリ、そしてスペチアーレと呼ばれるサーキット専用仕様まで、あらゆるフェラーリを整備してきた著者が、フェラーリというクルマの実態と魅力を解説する。

とかく前述したイメージだけが先行するフェラーリだが、オーナーでなければ、メカニックでなければ分からない実際の姿を豊富な写真の詳細な解説で紹介する本である。路上最高のスピードを実現するため、ギリギリの設計を追求したフェラーリは機械として魅力的であり、その外観もどの時代のフェラーリをとってもエキゾチックだ。だが、攻めた設計ゆえ、また日本という高温多湿で機械にとって最悪な環境だけに頻発する故障も多く、そのことがフェラーリに対する評判が分かれる所以となっている。またフェラーリはデザインが古くならないゆえに旧車としてみてもらえず、例えば電気系統の経年劣化がフェラーリの印象を悪くしている実態を本書は伝えている。どのページをめくっても、メカニックゆえに分かる細かい指摘でいっぱいだ。批判するだけではなく、褒めたたえるだけでもない、メカとしてのフェラーリの素晴らしさと実際を伝える良書である。

初版2017/07 講談社/大判本(変形)

2017.10.09

書評<凶鳥〈フッケバイン〉 ヒトラー最終指令>

ヒトラー率いる第三帝国の崩壊が迫りつつあるドイツの片田舎に、謎の飛行物体が墜落する。ヒトラーは、その謎の物体を凶鳥<フッケバイン>と呼称し、武装親衛隊を経由してドイツ国防軍に物体の回収命令を出す。その正体を知ってかしらずか、アメリカの特殊部隊員やロシアの機甲部隊も呼び寄せていた。いち早く到着したドイツ軍将校は、異常な状況と敵に出くわす。

急逝した佐藤大輔御大の有名な短編の1つ。いわばUFOとゾンビものの短編だが、そこは仮想戦記で名を残した著者の作品なので、ドイツ将校の活躍を描いた英雄譚となっている。男の中の男、戦士の中の戦士、将校の中の将校。まさにミリオタが憧れる国防軍の将校の姿そのものであり、その戦闘シーンもまったく抜かりない。作品世界に一気に入り、読み切ってしまう作品であった。

初版2000/03 角川書店/Kindle本

2017.10.08

書評<トラクターの世界史 - 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち>

人類が農耕を始めてから長い間、「土を耕す」という行為は人力や家畜の力で、鋤や鍬といった農機具を用いたものであった。しかし、蒸気機関と内燃機関の発達が「トラクター」という車輛の登場を促す。それはアメリカにおいては開拓地の発展の象徴であり、旧ソ連においては農民たちの団結の象徴ともなった。農業の歴史を変え、世界を変えたトラクターの登場と発展を、世界史を俯瞰しながら描き出す。

「トラクターがこれほど世界を変えたとは!」という驚きが読み終えた後の感想である。瀬戸内のミカン畑以外は農業と関わることがなかったので、土を耕すことの重要性、そしてそれがいかに過酷な労働であったかを知らなかったことはもちろんだし、それをトラクターが変えたことももちろん知らなかった。そして、トラクターの世界的普及もまた、乗用車と同じくフォードが成し遂げた事業であったのも意外だ。やがて、ヤンマーやクボタといった日本メーカーが世界市場を席巻していく戦後史も、自動車産業の発展と重なる。
トラクターを通して農耕の近代史のみならず、イデオロギーの象徴とされたことなど多面的に歴史を知ることが出来る素晴らしい本である。

初版2017/09 中央公論新社/中央公論新書

2017.10.07

書評<フォルクスワーゲンの闇>

自動車の排ガス規制に関する公的テスト実施時のみ、排ガスの有害物質が激減する「ディフィート・デバイス」を用いたとして、世界的なスキャンダルとなったフォルクスワーゲンの「ディーゼル・ゲート」事件。公正なイメージが強いドイツのトップメーカーのスキャンダルは業界を揺さぶり、乗用車用のディーゼルエンジンのイメージを致命的に悪化させた。このスキャンダルはなぜ起こったのか?戦前からのフォルクスワーゲンの会社の成り立ちと創業者一族の思惑を軸に、巨大企業の闇を暴き出す。

フォルクスワーゲンとポルシェ。その立ち位置は独特だ。世界的なドイツの自動車メーカー2社とその創業者一族は、ナチス・ドイツに協力していたメーカーだったが、その複雑な株式と提携関係も温存されたまま、2次大戦後に発展を遂げた。また、州政府も株式を保有し、役員会での発言権を維持する。ドイツでは労働者が保護されるため、社員解雇などリストラが難しい。こうした状況が、メーカーとして無理やりにでも拡大発展していくしかない経営方針を選択させることとなる。その企業規模拡大の武器が、北米進出であり、クリーンディーゼルエンジンであった。本書はこうした経緯に至るまでを、丁寧に描き出し、スキャンダルの裏側を暴き出すことに成功している。日本ではあまり報道されることがなかったが、フォルクスワーゲンはもともとスキャンダルを繰り返している会社であること、良くも悪くも労働組合をバックにつけた創業者一族の独裁体制であることが明かされている。その姿は、この日本でのブランドイメージとはかけ離れたものだ。
日本では盲目的にドイツ車を礼賛する傾向がみられるが、ディーゼルゲートの後の急速な電動化推進、中国市場での拡売策など、政治的な動きを背景にしたドイツ車メーカーの動きは胡散臭いところも多い。ドイツびいきの自動車評論家や経済評論家こそ、本書を読んでほしい。


初版2017/07 日経BP社/Kindle本

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