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2019.05.20

書評<西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム>

2010年代中盤、シリアを中心とした中東各地、あるいは国家崩壊の状態と化した北部アフリカからの難民・移民が地中海を渡り、ギリシャやイタリアといった南欧の国々に押し寄せた。船舶とも呼べない粗末な船で乗船し、海を渡ろうとする難民たちは航海中に事故で命を落とし、小さな女の子の死体が漂着するというショッキングなシーンも撮影された。この事態に、EUの盟主であるドイツのメルケル首相は人道的見地から、難民・移民の受け入れを決定する。大量に押し寄せる難民・移民は、ヨーロッパの国々に大規模なテロ、EU加盟国国内の政治的摩擦、EUそのものへの懐疑などを招き、西欧世界の価値観を揺さぶっている。こうした事態はなぜ起こったか?本書はそれを論じていく。

第2次世界大戦後、戦場となったヨーロッパ諸国は外国人労働者を導入した。また、アフリカに植民地を維持していた国々は、そこからも移民を受け入れた。”アラブの春”以降の時代に急速に問題化した移民・難民受け入れより前に、とっくにアイデンティティの異なる人たちが西欧にはいたのだ。不幸だったのは、元々いた移民の同化政策の失敗の顕在化と、新たな難民・移民の到来が同時に起こったことだろう。ヨーロッパ社会が個人の自由を求め、リベラル化していく中でもアイデンティティを失わなかったムスリムたち。そして、政教分離の理屈など受け入れない新たな来訪者たちは、西欧社会で深刻な摩擦を起こしていく。問題は、西欧のリベラルな政治家たち、マスコミがその摩擦を隠そうとし、また顕在化しても政争の具にしたことだ。西欧社会が確立した基本的人権の尊重や男女平等、LGBTなどの思想を認めないムスリムたちの犯罪を、人種差別や宗教差別の建前のもとに批判を認めなかった彼らは、ムスリムたちがいずれ西欧の価値観に染まると夢想したのだろうか?

そもそもなぜ、西欧は移民・難民を受け入れたのか?本書は政治から哲学に話を移す。キリスト教価値観からポストモダンに移行した現代、西欧の人々は中心となる哲学を見失い、アイデンティティ的に虚無に陥りつつあったのではないか?長く厳しい植民地支配の時代やユダヤ人虐殺に対する罪悪感が、価値観が異なる人々を受け入れることの困難さを見失わせたのではないか?思想家たちは人種や宗教へのとらえ方に対し一種のタブーを形成し、”多様性”といった耳障りのよい言葉だけが独り歩きさせ、大衆の危惧に耳を傾けてこなかったのではないか?著者が本書のタイトルに「西洋の自死」を選んだのは、西欧のエリートたちが招いた現在のヨーロッパの混乱を的確に現わしていると言える。

日本でも外国人労働者を正式に受け入れる法律が制定され、価値観が異なる人々が本格的に流入してくることが予想される。いわゆる先進各国の唱える”多様性”とは「一定の基本的人権感覚の共有の元」にある。それの外側にいる人たち、例えばムスリムたちの流入に我々の社会は耐えられるのか?西欧諸国の混乱を俯瞰すると、少なくとも自分には無理なように思えるのだ。

初版2018/12    東洋経済新報社/kindle版

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