2022.06.05

「トップガン マーヴェリック」を見てきた

「トップガン マーヴェリック」公開から1週間経って、2回目も見たのでそろそろ感想をまとめておきます。

ストーリーは完全に前作「トップガン」の続編。前作から30余年経ち、マーヴェリックは数々の勲章など授与されるなどの功績を上げながら、今も大佐のまま。現在は極超音速機<ダークスター>のテストパイロットの任に就いている。そこへ海軍からの呼び出し。とあるならず者国家が建設中の核関連施設を攻撃するため、トップガンの卒業生を集めてエリートパイロットのチームを結成する。マーヴェリックにはその教官の任に当たれというのだ。チームメンバーの候補生の中には、かつての相棒であるグースの息子、ルースターもいる。最優秀パイロットであっても、教官向きではないマーヴェリック、「死んだ相棒の息子」以上の因縁がありそうなルースターとの関係、困難で危険な訓練。そうした要素が交錯しながら、物語は最終盤に向かっていく。

映画のオープニング、「デンジャーゾーン」をBGMに始まるデッキ・オペレーションのシーンからして、「トップガン」が大好きな大人たちの期待に応える映画でした。観客にまで高Gを感じさせる飛行シーンは、やはり実機で撮影しなければ出ない迫力。実機に取り付けたカメラで限られれた角度で撮られた映像を編集しているからこそ出来る演出。個人的にCGで作る不自然な角度や光加減の映像を実写映画で見ると興ざめするのですが、この映画にはそんなシーンもなし。とにかく、アクションシーンは珠玉の出来です。さらに、ときどき挿入される「過去の名作の名シーンのオマージュ」に、にやりとさせられます。今回の実戦任務そのものが”エスコン”あるいは”エリア88のオペレーション・タイトロープ”によく似ていて、日本人としてはちょっと嬉しい感じです(こちらは偶然でしょうが)。

いっぽうでドラマシーンもグっとくる。自分は前作<トップガン>の恋愛パートなんかは早送りしてビデオ見てたタイプですが、この映画はそんな必要まったくなし。特に製作にも関わっているトム・クルーズが「彼なしではトップガンの続編はありえない」と言わしめた、アイスマンことヴァル・キルマーの出演シーン。時間としては短いですが、物語のターニングポイントとして観客に強力な印象を残します。喉頭がんで声を出すのも苦しいアイスマンが、キーボードで「過去は水に流せ」と打って指さすシーンの演出は役者ヴァル・キルマー本人の境遇とも重なり、今後語り草となる名シーンだと、個人的には思います。

ちなみに、自分がこの映画で一番好きなシーンは、敵のトムキャットを強奪してからのマーヴェリックとルースターのやり取り。

マーヴェリック「無線で空母と連絡を取れ」

ルースター「やってるが、無線もレーダーもうんともすんともいわない」

マーヴェリック「サーキットのUHF-2をオンにしろ」

ルースター「300あるサーキットの中から?」

マーヴェリック「キミの親父さんに聞けよ」

このシーン、今までマーヴェリックがルースターの前で口にしなかったグースのことに触れるばかりか、ジョークのネタにする。ルースターのことを「父親代わりをしてた、死んだ相棒の息子」ではなく、「後席をまかせられる相棒」と認めたからこそ出来るやり取りでしょう。

最後に。この映画は、いくつかの言葉がキーワードとして繰り返されます。「それは今日じゃない」「考えるな。行動しろ」など。特に「それは今日じゃない」はこの映画のテーゼでしょう。無人機の実用性が高まりつつ現在、危険で、パイロットのウデがものを言う戦術戦闘機の時代が次第に終わりつつあること(完全になくなることはないでしょうが)。社会においても軍隊においても規律や政治的正しさがより重要となり、マーヴェリックのような優秀だが無鉄砲な人間の居場所がなくなりつつあること。主演のトム・クルーズが年齢を重ね、少なくとも激しいアクションシーンにおいては主役を張るのは難しくなってきていること。そういったアレコレに抵抗することこそが、この娯楽映画にこめられた思いでしょう。あらためて、素晴らしい娯楽映画だと思います。

 

 

2017.04.29

書評<漂流>

冒険家である著者は、編集者からの提案により、過去の漂流事故について調査を始めた。そこで1994年、救命筏で37日間の漂流を生き延びた生還者の事故に出会う。取材を始めようと生還者に連絡を取ろうとしたところ、なんと生還者は再び漁に出た後、行方不明だというのだ。彼を中心に沖縄の離島の漁師の生き様を取材していくうち、知られざる遠洋漁業の栄枯盛衰に触れることとなる。

「奇跡の生還」といわれた漂流事故を扱ったノンフィクション。著者は漂流者の経歴を追うが、それは伊良部島の佐良浜という漁師たちの集落の歴史と、南方遠洋漁業の歴史を追うことにもなった。沖縄本島を中心とした、凄惨な戦争の後、漁師たちはどのような歴史を紡いでいったのか?なかでも巨万の富をもたらした、南方遠洋漁業とはどのようなものだったのか?遠洋漁業の中心にいた、佐良浜の男たちとはどのような人間たちだったのか?事故そのものと合わせて、漁業の歴史も紐解いていく、重厚なノンフィクションであり、本土でのほほんと生きている日本人とはまるで別世界の人生に、どんどんと引き込まれていく。著者の長期間にわたる取材の賜物であり、また著者の冒険家という経歴と、漂流民たる漁師たちと生き方がシンクロしたために書くことが出来た日本の漁業の歴史の一部である。

初版2016/08 講談社/ハードカバー

2015.05.22

映画<TNGパトレイバー 首都決戦!>を見てきた

ちょっと前になりますが、<TNGパトレイバー 首都決戦!>を地元シネコンの見てきた。ネタバレありで感想をメモ。


当方、押井守信者でありますが、かつてのパトレイバーの原案者集団である、ヘッドギアの方々のTNGパトレイバーへの微妙な反応を見るにつけ、この劇場版の前のシリーズに関しては、距離を取っておりました。ゆうきまさみ氏も、伊藤和典氏も大好きなのです。しかしながら、劇場版は少なくとも押井守カントクのファンからの評価は高いので、思い切って劇場に足を運びました。

舞台は”柘植の反乱”の14年後。かつての柘植のシンパが、陸自の最新鋭ヘリを奪取し、ベイブリッジへテロを仕掛けるところから物語は始まります。後はほぼアニメ版の「劇場版パトレイバー2」のストーリーをなぞっていきます。

CGと実写の合成は予想よりもショボくなく、しっかりとアクションの見せ場もあり、近年の押井守監督作品の過剰なまでの”映画感”へのこだわりは薄れた作品であることが第一印象です。犯人であるテログループ側の論理の描写はまったくなく、カントクの作品独特の街の風景を回しながらの独白は短め(このへんはディレクターズ・カットがあるそうなので…)であることが、テンポの良さにつながっています。それでいて、南雲さんが声のみで出演と、パト2のファンの心を震わせる場面も用意してあり、総じて、エンターテイメントとしてバランスの良さを感じました。
しかしながら、世間の評判は非常に芳しくないようです。いわくパト2の焼き直しであり、リメイクともいえない、と。それらのことは重々承知ですが、押井守信者としては、これこそが押井守の作りたかったパト2であり、ケリをつけたかったのだろうな、と監督の心中を察して擁護せざるをえないのです。虚構と現実を行き交う世界こそが押井守のテーマであり、明確な犯罪や思想テロとの戦いであったアニメのパトレイバー劇場版こそ、押井守監督としては妥協あるいは他のクリエイターたちと折り合いをつけた作品だと思うのです。製作環境として、そうせざるをえなかったのでしょう。それがヒットし、評価されたことは大いなる皮肉ですが。そういう意味で、本作のラストシーンこそが、ヘッドギアではなく、映画監督押井守がやりたかったラストシーンなのでしょう。
当たり前ですが、事前知識や思い入れによって印象が大きく変わるのが映画というものです。自分の押井守監督と榊原良子女史への思い入れが、映画を見る目を曇らせているかもしれません。それでも、久しぶりに2回目を見に行こう、と思った映画であることは確かなのです。
願わくば、押井守監督と、ヘッドギアの面々との和解が成らんことを。

2015.03.08

書評<カニの不思議>

カニは海辺に住んでいる身近な生物であり、多くの民族にとっては御馳走でもある。、そして淡水から海水まで、海辺から深海まで、生息範囲が広く、そこに住むカニたちそれぞれに多くの特徴を持った生物である。本書はカニの基本的な形態の説明から生活リズム、交尾など生物学的特徴から、漁法や料理法を含めた人類との関わりまで、カニを総合的に説明する。

カニも知れば知るほど不思議な生物だ、とつくづく感じさせる一冊である。本書は意外と知られていない脱皮や幼生段階のカニ生態などを丁寧に説明する一方で、人間との関わりにも多くのページを割いている。読み進むと、極限環境である深海の熱水噴出孔から、そこらへんの海辺まで広く存在し、形態も大きさもそれぞれのカニが特徴を保ちながら暮らしているカニの特徴をしっかりと掴むことができる。
どこにでもウジャウジャいるイメージのあるカニだが、人類の食料資源となっている種類のカニは、絶滅の危機に瀕しているのもまた事実である。欧米では多くの漁業制限がかかっており、資源再生に取り組んでいる。それに比べて日本近海では…という気持ちにならざるをえないのが事実である。水産庁には本書を読んで猛省していただきたい。

初版2015/01 青土社/ハードカバー

2015.03.01

映画<アメリカン・スナイパー>を見てきた

クリント・イーストウッド監督作品「アメリカン・スナイパー」を見てきました。

映画の舞台はイラク戦争。主人公であるSEALS所属のクリス・カイルは、優秀な狙撃隊員として4度もイラクに遠征。その間、180人以上の敵を倒し、狙撃距離1.9㎞の射撃を成功させる伝説な男。一方で、家庭ではよき夫であろうとする、その両面を本作は描きます。

全体的には、イラクのテロリストたちとの激しい戦争を描きながら、主人公は過剰にヒーロー然としているわけではなく、アメリカに戻って家族と過ごすわずかな時も過剰な感情のぶつかりはなく、非常に乾いた映画だという印象が残りました。
しかしながら、多くのことが示唆されていることもまた確かです。同じようにイラクに派遣された弟は精神的に疲弊し、一緒に戦ってきた仲間も、戦争に対して疑問を感じながら、戦死していく。主人公は取り残されたように感じながらもなお、国家のために戦います。長く不毛な戦いを残すものが何か?見る者に問う感触は、人によっては反戦映画と感じるでしょう。
一方で、少年時代に狩猟で射撃を覚え、自分も息子に狩猟で射撃を教えるシーンは、銃という武器で家族と国家を守る「アメリカン・スナイパー」の主題そのものと感じます。「人間は3種類いる。羊、狼、牧羊犬だ」というクリスの父親の言葉は、アメリカの価値観の一つといえます。本作のラスト、道々で人々が国旗を打ち振るカイルの葬送シーンもまた、アメリカの変わらない価値観の現れでしょう。
ミリオタ的な視点だと、4度の派遣の間に主人公たちが使うライフル、あるいは乗り込む車両の変遷が、イラクが長期間にわたり犠牲を重ねた戦場であることを感じさせます。クリスの1回目の派遣では手作りの装甲をまとったハンビーが走っていたものが、4回目の派遣では無人機プレデターが画面に登場します。このことが、戦争というものが変質させたイラク戦争を象徴しています。また、イラク戦争というと民間人の犠牲が強調されがちですが、女性や子供を欺瞞に使うテロリストたちのえげつなさを描き、困難な戦争であったことを掴むことができます。

ベトナム戦争では帰国した兵士が歓迎されず、「ランボー」のような主人公と映画を生みました。現在、アメリカは中東の戦場から帰国した兵士に罵声を浴びせるような国ではなくなりましたが、「実戦で変質する兵士の精神」いう面は決して変わらないのでしょう。乾いた演出でありながら、多くのことを示唆する、素晴らしい映画でした。

2014.02.16

映画「RUSH」を見てきた

映画「RUSH」を見てきた。郊外シネコンのレイトショー、お客は少なめ。

ときは1970年代。舞台はあたりまえのように、毎年ドライバーの死亡事故が起きていた時代のF1。そのチャンピオンシップを争う、2人のライバルがいた。本能のままに走り、私生活も自由に享楽的に生きる、人々が想像するスーパースターの姿そのもののジェームス・ハント。緻密なセットアップで、速さを論理的に追求するニキ・ラウダ。対照的な2人が1976年のランキングを争っていたが、雨のニュルブルクリンクでラウダがクラッシュ、重度の火傷を中心とした重傷を追う。その年のチャンプはハントに決まりかと思われたが、ラウダが奇跡の復活を果たす。舞台は豪雨の最終戦、富士。果たして決着はいかに?

長いF1の歴史の中でも、屈指のライバルとして語り継がれてきた2人のチャンピオン争いを、エンターテイメントの名手であるロン・ハワード監督が映画化。まだマシンとして荒削りな1970年代のF1マシンを迫力ある姿で描きながら、なおかつ2人の対照的な人物を描き切り、熱過ぎる映画となって完成している。
映像的には生々しいエンジンの鼓動と、血の赤に染まっているように見えるラウダのフェラーリの迫力が凄まじい。CGを使えばなんでも出来る時代にあって、あえてアングルを絞ることにより、当時のレースを見ている気分にさせる。当時のサーキットの看板、オフィシャルカーなど背景にも抜かりはない。レースシーンはドライバーの主観でも描かれるが、ラウダの復帰レースで、それまでボケていたラウダの視界が、ドンと焦点が合うシーンは燃えるやら、感動するやらで大変だ。
人物描写も見事。享楽的なスーパースターだが、ゆえに苦悩も抱えるハント。緻密な頭脳を駆使して走るラウダは現在のF1パイロットたちに通じるが、その秘める熱い思いはハントにひけをとらない。対照的な2人が最後まで分かりあうことはないが、「宿敵の存在を神の仕業だと思え」というラウダの言葉に象徴されるとおり、お互いがいなければ、2人のチャンプは生まれなかったかもしれない。
ロン・ハワードの作る”安心のエンターテイメント”でありながら、今どきのハリウッド映画にありがちな作り物くささが抜けた、とにかく熱い映画に仕上がってる。必見の作品です。

2013.08.18

映画「パシフィック・リム」を見てきた

昨日、上映開始時間を12時間間違えるという恥ずかしいミスをしてしまったが、あらためて「パシフィック・リム」を見てきた。3Dの日本語吹き替え版。午前中開始・お盆最終日ということもあってお客の出足は厳しい。ストーリーはこんな感じ。

海底空間に開いた異次元との回廊から現れるKAIJU(怪獣)に対し、人類はイェーガーと呼ばれる巨大ロボットを開発して対抗していた。だが現れるKAIJUは徐々にイェーガーに対抗する方法を学び、イェーガーは苦戦を強いられるようになったため、人類は巨大な壁を都市に築く方法を選ぶ。だが、その壁すら突破されるようになったため、人類は最後の希望を再びイェーガーに託す。

KAIJUを敵役に持ってきていることからも分かるとおり、日本の特撮・アニメ・SFに大きく影響を受けた作品。監督もかなりのオタクらしい。ストーリー短くまとめて書いていても、13話くらいでアニメにしたら良かったのに、と思うくらいに日本的作品(笑)。Twitterあたりで大絶賛なので見に行ったので、かなり身構えていたのだが、素直に感情移入できる、素晴らしいCGIと燃える展開だった。バカ映画といえばバカ映画なのだが、それがイイ。自分は特撮の知識がないのであまり指摘できないが、オマージュ的なシーンもかなりあったのだろう。ロボアニメへのオマージュはもちろん分かりました(笑)。
それと自分が特に感じたのは、「アポロ13」にもかなり影響されているのでは、ということ。パイロットたちが現場で戦うシーンと同時にバックアップの管制センターも緊迫感を増す舞台として重要な役割を担っていて、そのさらにバックには科学者たちが悪戦苦闘している構成で、ドラマを厚くしている。特にラストシーンあたりのドラマワークはその印象が強い。そういった正統派ハリウッド映画と、日本の生み出した特撮・オタクガジェットをうまく結びついた作品だった。

Twitterで真偽不明ながら「この映画は日本人声優の吹き替えをかぶせて完成される」というコメントを残したアメリカ人オタクがいたというので吹き替えにしたのだが、確かにそうだった。やはり林原めぐみはイイ(笑)。

2013.03.02

映画「ゼロ・ダーク・サーティ」を見てきた

9.11同時多発テロの首謀者であるビン・ラディン殺害作戦の”真実”にせまったとされる映画「ゼロ・ダーク・サーティ」を見てきました。以下、ネタバレありで感想を。

自分も、COMBAT MAGAZINEに掲載されていた、4つ目のナイトビジョンを装着したSEALS隊員のグラビアのインパクトに負けて映画館に足を運んだクチですが、実際には徹頭徹尾、CIAのビン・ラディン捜索作戦を描いた映画です。
映画全体の印象は”フラット”であること。CIAの女性アナリストを主人公に据えていますが、ヒロイン然としているわけではない。彼女は同僚の爆死をきっかけに、上司にすら強烈なプレッシャーをかける執念の追跡を続行するわけですが、彼女に感情移入させるような意図的なカットはさほどありません。それに彼女は確かに優秀ですが、拷問、買収、電子的諜報手段などで得た情報を繋ぎ合わせるアナリストに過ぎないのです。彼女の所属するCIAという組織も、その諜報能力を過剰に強調するわけでもなく、腰の重い官僚的組織であることをことさら批判するわけでもない。映画らしいカタルシスを感じさせる”演出”が非常に抑えられていながらも、152分という長い上映時間を退屈させず緊張感を保つ、不思議なバランスの映画です。
それはビン・ラディン追跡の最終章である”オペレーション・ネプチューン・スピア”、ビン・ラディンの邸宅突入の場面も同じ。SEALSの隊員は唯一、ステレオタイプな人物に描かれていますが、作戦はことさらスピーディに進むわけでもなく、完全な秘密作戦でもなかった”真実”が描かれています。
そういう意味で、アカデミー各賞にノミネートされていながら獲得なしなのも納得できます。例えば、問題になった拷問に関しても残酷な描写がありますが、彼女がビン・ラディンにせまるきっかけとなる情報を獲った手段でもあるわけで、否定的でもあり肯定的でもある。政治的な立ち位置がはっきりしないため、扱いが難しいのでしょう。
いろいろ書き連ねてきましたが、見る価値のある、退屈しない映画であることは確かです。良質なドキュメンタリーを見た後に感じる感情と似てる気がします。

最後に個人的に気になることを2点ほど。CIA長官だけやたら乱暴な言葉の日本語字幕がついているのですが、粗野な喋りで有名な人だったのでしょうか?それと、墜落した例のステルス・ヘリを爆破しようとSEAL隊員が機体によじ登ったあげく、ヘリの外板を足でぶち抜いてコケるシーンがあるのですが、ステルス・ヘリが本格的な特殊部隊専用機ではなく、一時的にステルス性能を保持するためにでっち上げたハリボテに近い機体であることを示唆しようとしているのでしょうか?なんかこういう感じで、いろいろと伏線が隠されている気もする映画です。

2009.02.09

書評<宇宙創成>

宇宙創成〈下〉 (新潮文庫)

現在、我々は地球が太陽の軌道を周回し、太陽は天の川銀河の辺境に位置し、天の川銀河を含めた宇宙がビッグバンによって生まれたことを常識としている。だが、この科学的見地にたどり着くのに、多くの時間が費やされた。物理理論をうちたて、それを観測によって検証する。天球が運動していることに人類が気づいて以降、その繰り返しによって今日、前述した理論に行きついた。本書はコペルニクスの時代に遡り、ビッグバン理論にたどり着いた宇宙論の歴史を辿る。

天文学の基本は軌道計算だ。それは物理学であり、幾何学である。そして”天球の回転(byコペルニクス)”から恒星の成り立ちまで、広く宇宙を理解しようとすると、多分野の物理学の知識が必要となる。本書は宇宙の謎を解こうとした物理学者の”戦い”を中心に記述し、数式を最低限に抑え、たとえ話を多用することによって宇宙論を解説していく。なので数学な苦手な自分でも、物理学を多少なりとも理解しながら、過去どのように研究が進んできたかを知ることができる。「E=mc²」を多少なりとも理解した気になったのはこの本がはじめてです、ハイ。
もう一つ本書で特筆すべきなのが、個性あふれる物理学者たちのエピソードである。気難し屋、目立ちたがり屋、求道者・・・見下していた化学者に妻を寝取られ「闘牛士ならともかく、化学者とは・・・」とつぶやいた学者、自分の屋敷のメイドたちを観測記録の分析係に転職させた学者(しかも彼女たちは優秀な天文学者となる)などなど。
理論と人間くさいエピソードが交錯する、魅力的なビッグバン宇宙論の歴史書だ。

初版2008/01 新潮社/新潮文庫

2009.01.31

BSアニメ夜話<攻殻機動隊SAC>公開収録に行ってきた

収録内容は書いてほしくないが告知はして欲しい、とのことでしたので、あえて表ブログで日記。

札幌のサンプラザホールで行われたBSアニメ夜話<攻殻機動隊SAC>公開収録に行ってきました。ゲストは岡田斗司夫、宮台真司、松嶋初音、後藤隆幸(作画監督)、田中敦子(声優)。放送日は2/26(木)の深夜0時より。印象に残ったことを箇条書きで。

○公開収録参加者はどうせオレのようなオタクだらけだろう、と思ったら予想外に女性が多い。客席の周囲の反応から察するに、素子役の田中さんの女性ファンが多いらしい。舞台登場の拍手も一番大きかった。確かに、スゲーかっこいい大人の女性でした。
○NHKのアナウンサーはやたらブログやmixiの評判が気になるらしい。だからと言って褒めるわけではないが、”客席の回し方”も含めて、非常に匠の技を見せてもらった感じ。笑いもちゃんととっていくのね。
○加藤夏希ちゃんはやっぱスゲーキレイで、しかも、いい子っぽい。騙されてるか?(笑)。
○岡田斗司夫は、テレビで見る以上に実物は年食ってる(笑)。だが言うことはやっぱり的確なんだよなあ。

これ以上は内容に関わるので書きませんが、2時間半の収録があっという間の時間でした。オンエアでどんなとこが切られるのか、楽しみです。

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