孤高のロータリーロケット
レースで泣いたことが2度ある。セナが死んだ年に鈴鹿で開催されたF1と、1991年のル・マン24時間だ。といっても、鈴鹿はセナのねーちゃんが、日本のファンのために日本語で挨拶をしたことに驚き、流した涙なので(おまけに大学のサークル合宿での徹夜明けで感情不安定)、正確には1度だけである。
世界中で唯一、マツダのみが実用化できたロータリー・エンジン。マツダは長年に渡ってロータリー・マシンをル・マンに送り込んできたが、レギュレーションの改定により、ロータリー・エンジンでの参加は1991年で最後であった。この年のレースはメルセデスのシルバー・アローが先行して他車が追う形で進む。20時間目にいたり、マツダ車は55号車が2位を走っていたが、突如メルセデスがストップ。TV中継は55号車がトップに立ってから以降に始まったと記憶しているが、なにせル・マンのこと、いつ何が起こるか分からない。ゴールまで祈りながら見ていた。そして歓喜のゴール。レースの世界では新参者の日本車の勝利を歓迎してくれる、観客たち。涙声で解説にならない由良拓也に、オレはもらい泣きしていた。
翌年、マツダはレシプロ・エンジン車でル・マンへの挑戦を続けたものの敗退。やがて日本ではバブルがはじけ、マツダはレースどころか会社の存続すら危うい状態に陥り、フォード・グループ傘下となって今に至る。
ON TIMEの<ロータリースピリット>を購入して思い出したのは、そんな思い出。
あるばさんのところで知ったコレ、精密可動モデルのスグレモノです。広島出身、マツダの宇品工場の社会見学でメカの薫陶を受けた者として、買わずにいられず、通販で取り寄せ。意味もなく「吸気・圧縮・燃焼・排気」とつぶやきながら、グルグルと回しています。なんかアブナイかも。
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