2022.08.28

書評<ベリングキャット ――デジタルハンター、国家の嘘を暴く>

GoogleMapが世界を覆い、SNSに世界の事件、事故の画像が瞬時に上がっていく昨今、注目を集めているのがOSINT(OpensouseInteligence)である。真偽が簡単には確認できない紛争や内戦、テロの情報を、GoogleMapやSNSに上げられる画像などを吟味し、事実と画像の一致を見出し、真実を公開し、一般に周知させる。本書はそうした活動で注目されるようになったOSINTチーム、べリングキャットの創始者が、自らべリングキャット創設の短い歴史を明らかにしていく。

本書は何者でもなかった(それどころか無職に近い立場)著者が、世界中の報道番組や情報組織から注目されるOSINTチームを立ち上げた経緯やチームの活動を明らかにする。本書をで印象的なのは、OSINTはとにかく「時間と根性」が必要なことだ。広大なネットから、目的の画像や情報を拾い上げるのは簡単なことではない。いまどきは政府が主導するフェイクニュース拡散もある。それらから意味ある情報を事実と確認するには、膨大な時間が必要だ。それに、ピンボケの画像に写る兵器や車両を確認するには、専門的な知識が必要でもある。それらを確認するためには、クローズドで、なおかつ信頼できるネットワークを作り上げなければならない。決して容易なことではないのだ。

一方、本書ではOSINTの限界も感じさせる。べリングキャットは情報探索の奥底に潜るにつれ、政府組織内などの匿名の情報源に接触するようになった。やはり情報収集にはHUMINT(対人情報)も必要なのだ。ネットだけでは世界は完結しない。本書はそうしたことも感じさせる。

 

初版2022/03  筑摩書房/ソフトカバー

 

2022.05.25

書評<バルサ・コンプレックス “ドリームチーム”&”FCメッシ”までの栄光と凋落>

華やかなヨーロッパのサッカー界の中でも、屈指の人気と注目度を誇るバルセロナ。そして地元スペインのカタルーニャ州においては「クラブ以上の存在」といわれ、カタルーニャの社会に深く根ざしている。それはクライフというサッカーを変えた人物の一人が所属することで始まった。サッカー関係の重厚なノンフィクション作家として知られる著者が、長年に渡るバルセロナの取材をまとめ、バルセロナというクラブの発展と凋落の歴史を辿る。

 

バルセロナは、世界でもその動向が注目されるチームであり、チームの歴史を扱った本も多数ある。本書の特徴は、著者が20年以上に渡ってバルセロナのクラブハウスに出入りし、クラブの職員から会長まで、様々な階層の人たちをインタビューし、バルセロナというクラブの複雑さを読み解いていることであろう。さら著者はクライフへの単独インタビューの機会を「この日のためにサッカージャーナリストになったといっても過言ではない」と記すほどクライフへの思いが強くありながらも、クライフについて批判すべきところは批判するスタンスを取っており、その距離感のバランスが非常に優れている。ゆえにバルセロナの歴代会長に話を聞けるインサイダーでありながら、クラブのマイナスの側面を客観視し、チームの変質を描き出すことに成功している。さら本書ではサッカーのグラウンドやクラブハウスを超えて、バルセロナという街の変質、あるいはバルセロナと他のヨーロッパの国々(特にオランダ)との関係にも触れている。そうしなければ、バルセロナとクライフの愛憎半ばする関係を理解できないのだ。本書はクライフ以後のカタルーニャの歴史書でもある。

初版2022/04  カンゼン/kindle版

2022.05.24

書評<冷蔵と人間の歴史>

人類が文明を興し、調理や醸造を始めたとほぼ同時に、食物を冷蔵しようとする行為は始まる。初期は保存のためというより、王族が飲む飲料を冷やすという、嗜好性の強いものであった。地上と地下の熱量の差や気化熱など自然の物理現象を利用した冷蔵庫から、現在の我々の食生活を支える大規模な冷凍庫を搭載した船舶まで、本書は冷蔵と人間の歴史を辿る。

本書を読むと、まず驚くのが人類が冷蔵という行為を始める早さと、我々が現在使用しているような冷蔵庫の登場のギャップである。先に述べたように、歴史上、冷たい飲料は貴族しか手が出せない贅沢品であったものが、寒冷地から大規模な氷の輸送を経て、庶民が家庭用冷蔵庫を利用するに至る道は非常に長い。「物体を冷やす」という経験的な利用から、熱の移動という科学への発展。あるいは世界的な交通網の発達。人類社会の科学の発展とともに、冷蔵という行為は広まったことがよく理解できる。そして近代においては、大規模な寒冷地からの氷の輸送をはじめとして、冷蔵がギャンブル的な商売であったことも興味深い。本書は冷蔵という行為から見える人類史の歴史書ともいえるだろう。

 

初版2021/09    築地書館/ハードカバー

2022.05.23

書評<ザ・コーポレーション>

フィデル・カストロによる社会主義革命時、前政権に関わる人物をはじめとして多くの人間がキューバを脱出し、アメリカに渡った。そして彼らはときのケネディ政権下のCIAによるキューバ侵攻に参加することになる。だが後に”ピッグス湾事件”と呼ばれるキューバ侵攻は失敗。彼らはキューバ当局に拘束され、アメリカに追放される。軍隊と捕虜になるいう経験を経て、亡命キューバ人たちは絆を固くし、またCIAと関わったことで、アメリカ政府関係者との繋がりも継続されることとなる。アメリカで自由の身になった亡命キューバ人の一部たちはボリータ(数当て賭博)を生業とするマフィアとなり、ニューヨークとフロリダの暗黒街を跋扈することになる。本書は一人の”ゴッドファーザー”を中心に、キューバ・マフィアの成立と拡大、そして衰退を描くノンフィクションである。

マフィアの栄枯盛衰を描いたノンフィクションはあまたあるが、本書を特別なものとしているのは、「ザ・コーポレーション」と呼ばれることにあるキューバ・マフィアの特殊性にある。彼らはピッグス湾事件の辛酸を舐め、「いつか祖国をカストロから取り戻す」という”ロマン”を抱いているという共通点から団結力も強く、勢力はまたたく間に拡大した。さらにCIAはじめ政府との繋がりを持つ人物も多く、ケネディ兄弟の暗殺事件や、後の「イラン・コントラ事件」にも関わることとなる。ロマンや政治性を抱えた犯罪組織、魅力的な人物。生業である数当て賭博も動く金額は大きいが、庶民の楽しみを支えるものでもある。だが、それは暴力によって担保されたものであった。そして、麻薬犯罪に手を伸ばし始めたときから、ロマンは失われ、金銭と暴力にひたすら捉われた犯罪組織に変容していく。キューバの歴史、アメリカの組織犯罪の歴史、CIAの南米での暗躍、犯罪を取り締まる側の警察組織の汚職と苦悩。様々な物語が重なり合った重厚なノンフィクションである。

初版2022/02  早川書房/ハードカバー

2022.04.19

書評<狩りの思考法>

近年、冒険家である角幡唯介は年間のおよそ半分をグリーンランド極北のイヌイットの村・シオラパルクで過ごし、伝統的な犬ぞり移動と狩猟による食料調達をする日々を送りながら、極夜での「漂泊」について思いを馳せている。本書はイヌイットの村人との交流で悟った、都市が発達した国家で暮らす人々との思考法の違い、グリーンランドの厳しい気候と極夜がもたらす人間への影響を考察し、テクノロジーが発達した現代における”冒険の意味”を問う。

冒険家、あるいは登山家といわれる人たちは未踏の地の制覇、踏破といった目標を持つ。だが、地球のほぼ全てを衛星で観察し、通信もカバーできる現在、未踏の地という目標はなくなりつつある。そういった状況で、冒険家は何をすべきすべきなのか?そうした自己への問いかけが、著者のいう「狩りと、それに伴う漂泊」である。狩りという行為は本質的に狩る相手に依存した行動をとらざるを得なくなり、目標あるいは予定といった都市あるいは農耕地での日常はまったく通用しない。これこそが現代の冒険である、と著者は言う。

まして極地での厳しい気候下にあっては、一般的な「天候のパターン」はあっても、それは我々の知る天気予報のような精度がある程度確保されたものではなく、明日のことなどまったく分からない。そうした状況は都市で育った人間とはまったく違う思考法を人間に強いる。著者はイヌイットの人々との交流をとおして、そのことを深く追及することとなる。

著者が国民が粛々と暮らしている日本と、まったく異なる思考法を持つイヌイットの二重生活を通して思い至った”新たな冒険”。本書はそのプロローグとなるものである。

初版2021/10 清水弘文堂書房

2022.04.18

書評<ディエゴを探して>

サッカー界で「神様」と呼ばれる人物の一人、ディエゴ・マラドーナ。スポーツ面での成功と挫折、そして私生活の奔放さはよく知られるところである。だが、我々日本のサッカーファンは、彼が母国アルゼンチンでどのようにしてスーパースターに昇りつめたのか、その過程でどのようなエピソードがあったのか、知らない人がほとんどであろう。本書は1989年からアルゼンチンに住むジャーナリストである著者が、幼少期からディエゴを知る人たちへの取材を通して、ディエゴがどのような出自を持ち、どのような人生を辿ったのかを数々のエピソードともの明かしていく。

本書ではディエゴ・マラドーナのアルヘンティノス・ジュニオルス時代、ボカ・ジュニオールに移籍しスーパースターになるまでの7年間を主に取り上げる。取材対象は現在でいえばジュニアユースの年代のころに一緒にプレーした幼馴染みや、マラドーナを見つけ出した人物、パーソナルトレーナーまで広く及ぶ。ディエゴは貧民街に生まれながらも仲間を思いやる少年に育ち、その性根は生涯かわることはなかった。現在のクラックたちにはない、人間としての暖かい資質。そしてその資質と、スーパースターとして一挙手一投足を追われる日々の板挟みとなって苦しむ日々。ディエゴは、サッカーのプレーや結果だけで”神様”になったわけではないのだ。アルゼンチンにおいて、ディエゴが象徴しているものは何か、深い洞察を感じさせる一冊であると同時に、現代では不出の人物であり、ディエゴの代わりになる人物は二度と現れないであろうと確信させる一冊である。

初版2021/07  イースト・プレス/kindle版

2022.04.17

書評<中国の航空エンジン開発史>

経済成長とともに、加速度的に装備の近代化を進める中国人民解放軍。空軍も例外ではなく、「数は多いが時代遅れのソ連機コピー機がすべて」というイメージを覆し、「国産の最新鋭機を揃える」空軍に生まれ変わりつつある。しかし、近代化した空軍の国産航空機が装備するタービンエンジンは今のところ輸入したロシア製エンジンもしくはロシア製エンジンをリバースエンジニアリングしたものである。本書は中国のタービンエンジンの開発・生産の歴史を辿り、ステルス戦闘機を装備しつつある現在でも、完全オリジナルのタービンエンジンを量産できない現状と、将来を予測する。

現状、戦闘機用のアフターバーナー付きターボファンエンジンをオリジナルで開発・生産できる国は片手に納まるのが現実である。テクノロジーが目覚ましく発展し、宇宙ステーションを軌道上に打ち上げようとする中国なら、大金を積んで開発を継続すれば技術はキャッチアップ出来るはずだ。中国共産党の幹部もそう考えているはずだ、しかし、現実はそうなっていない。中国のジェットエンジンの生産はソ連から輸入されたMig-15用のエンジンの整備から始まり、「中国のジェットエンジンの父」と言われる技術者まで輩出してきた。だが中国共産党の政策や文化大革命に翻弄され、技術発展は思うように進まなかった。ソ連あるいはロシア、西側諸国からの技術導入も、肝心のホットセクションは各国とも技術開示を拒んでいる。タービンエンジンの高圧・高温セクションは分解してパーツをコピーすればいいものではない。治金や空力など、基礎技術が肝心だ。さらに言えば、エンジンのパーツを生産する製作機械は日本とアメリカのいまだ独占市場である。本書はそうした歴史と現実、そしてこれまでに中国が自主開発したタービンエンジンのラインナップを網羅し、貴重な資料になるものである。

初版2022/04    並木書房/ソフトカバー

2022.01.25

書評<日独伊三国同盟 「根拠なき確信」と「無責任」の果てに>

日本はなぜ太平洋戦争開戦に踏み切ったのか?開戦への経緯には様々な要因が絡み合っているが、本書は日独伊三国同盟成立までの歴史と、その同盟を調印することに関わった人物たちに焦点を当てる。いわば”外務書から見た太平洋開戦”である。

自分はいわゆるミリタリーマニアなので、太平洋戦争開戦までに至る経緯に関しては、陸軍・海軍を中心にした分析に関する知識しかなく、非常に新鮮に読めた。本書は三国同盟成立までの経緯をまとめているが、帝国政府に対して虚偽様々な策を弄して同盟への道を築いた外交官大島浩と、国際連盟脱退の際の演説で国民のヒーローとなった松岡洋右を中心に据えた人物批評の書、ともいえる。本書を読むと、強烈なドイツびいきであった大島浩、ヒステリックな言動で日本外交を惑わせた松岡洋右こそが、日本をアメリカとの無謀な戦争に至る道を作ったと早とちりしそうになる。それくらいに、彼らの行動と言動には影響力があったのだ。いまだに「軍部独走説」を唱える人もいるが、”戦争への道”はシビリアンである外交官も大きく関わっているのである。

翻って現在、とにかく日本と西欧の国を比べたがるジャーナリスト、無根拠な「日本はすごい」説を唱える作家など、大島や松岡に繋がるような人物をよく見かける。”外交の失敗”は”国民の失敗”であることを、我々はよく考えなければならない。

 

初版2021/11   KADOKAWA/kindle版

2022.01.24

書評<’80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録>

1980年7月、日本のプラモデルシーンならず子供たちのホビーを一変させるキット、「1/144RX-78ガンダム」が発売される。以後1984年に急速にそのブームが去るまで、シーンは異様な盛り上がりを続ける。次々と放映される新作ロボットアニメ、それに併せて過剰なまでに供給されるプラスチックモデル。新規参戦するおもちゃメーカーも現れるが、やがてブームは終わり、おもちゃメーカーには清算や倒産といった現実を突きつける。あのころ、起きたこととは何だったのか?こどもたちがキットを確保するために奔走するなか、おもちゃメーカーやメディアの中ではどのようなことが起こっていたのか。このブームを体験し、のちに「ガンダム・センチネル」など、メディア側の情報発信者となるあさのまさひこ氏が対談形式で語る”歴史書”。

本書にいわゆる資料的価値はない。現実に起こっていたことと、後に著者のあさのまさひこ氏が関係者へのインタビューで得た証言を中心に、ファーストガンダムを中心としたリアルロボットプラモブームとは何かをホスト役の五十嵐浩司と語り合う。これを書いている私を含めた現在50歳前後の「かつての男子」に強烈な”傷痕”を残したいわゆるガンプラブームは、現代のように洗練されたメディアミックスや商品企画によって起こったものではない。ゆえに送り手も受け取り手も手探りで、特異的な現象が次々と起きた。著者たちのブームの分析は的確であり、濃密な4年間の記録となっている。

しかし、である著者のあさのまさひこ氏が1965年生まれ。私は1972年生まれ。いわばただの”消費者”であった当時小学生の自分と、7つ年上ですでに批評家であり、クリエイターでもあった著者と共通体験があったとは言い難い。いわば”マニアのお兄さん”の話を聞いた感じとでも言おうか。さらにいえば、東京住みと地方住みの差は大きい。模型店など周辺から様々な周辺情報が入ってくる著者と、「文房具・スポーツ用品・模型その他地元中高生向けなんでも屋」でプラモの入荷を待っているだけの私とは体験の濃さはともかく、内容が違うのだ。そういう意味で、強烈な共通体験と歴史書を読む体験の中間的な読書艦が残る著書であった。

初版2022/01   竹書房/kindle版

 

2022.01.07

書評<エジプトの空の下>

気鋭のイスラム学者である飯島陽女史が、エジプトに滞在していたときの数々のエピソードをまとめたエッセイ集。遠く日本からは見えない、イスラム教の国、エジプトでの生活の実際や隣国との関係などを綴っていく。

ヘタすればIS(イスラム国)のカリフ制さえ支持し、アラブ各国の理不尽を欧米のせいにしたがる従来の日本のイスラム学者とは一線を引き、コーランに基づいたイスラム教徒の実際を指摘する著者。イスラム教では明確に男性と区別、差別される女性であり、母親であり、もちろん外国人でもある著者のエジプトでの生活の苦労を本書は伝えている。エジプトはアフリカにおいては大国ではあるが、インフラその他で日本には遠く及ばず、また宗教の違いはいかんともし難い価値観の違いがある。それでも著者はその性格ゆえか、大胆にエジプトで生活していた。かの地での経験が、今の著者の信条に大きく影響しているのは間違いない。

本エッセイが貴重なのは、著者が滞在していた期間にいわゆる”アラブの春”が起こったことであろう。エジプトでの民主革命とはいかなるものであったか、そしてその反動である軍事クーデターの後のエジプトの実相を本書は伝える。イスラム教が国教の国での”民主革命”とは何か、そもそも民主主義とは何か?言論の自由とは何か?考えさせられる一冊である。

 

初版2021/11    晶文社/kindle版

より以前の記事一覧

My Photo
August 2022
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Twitter


無料ブログはココログ