書評<新版 日本のルィセンコ論争>


ソ連の生物学者、ルィセンコは、1930年代に小麦の生育段階の温度変化によって農作物を増産できるとの理論をはじめ「獲得形質は遺伝する」とする唱え、主流であったメンデル理論を否定した。この理論は実験による検証を経ないままスターリン政権の庇護を得て、スターリンはルィセンコに批判的な学者を弾圧、科学が政治に捻じ曲げられただけではなく、農業生産に大損害をもたらした。
日本にもその学説が上陸し、特に太平洋戦争敗戦後、共産主義の台頭ともに生物学会と農業に混乱をもたらした。日本でルィセンコ理論が台頭していった過程を、当時の科学者たちの問題意識や議論を精緻に追うことで描きだす。

本書は1967年に刊行されたものに、現代の解釈を加えた新版であり、いわゆるルィセンコ学説と現代のエピジェネティクス理論の違いを踏まえたうえで、当時の生物学会の状況を知ることができる。
ルィセンコ学説が日本に紹介された当初は、科学的な論争だった。それが共産主義と戦後の政治状況に絡み合い、「絶対的に正しいもの」に変質していく様が見てとれる。それはやがて”農民たちをオルグする”という政治と科学が結びついた異様な運動となった。だが、実験実証を伴わない机上の空論は失敗し、分子生物学の発展によりルィセンコ学説は消え去っていく。再現実験を伴わない科学とイデオロギーの結びつきがいかに危険か、そしてその失敗を取り戻すためのコストが高くつくことを本書は示唆している。その深刻さは、50年を経た今でも色褪せない教訓である。


初版2017/07(新版)  みすず書房/ハードカバー

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書評<ゲートSEASON2 自衛隊 彼の海にて、斯く戦えり〈1〉抜錨編>

銀座に開通した異世界への「門(ゲート)」。剣と魔法の世界の帝国を自衛隊の火力で退け、異世界でゲートを中心に自治領を確保した日本であったが、異世界の各国との関係、また異世界への進出を求める世界各国との関係など、とても安定した状態を築いたとはいえない状態である。よって、自衛隊に求められる役割もより大きくなり、海自の艦船も極秘に活動していた。異世界を巡る物語、第2シーズンの始まりである。

剣と魔法の世界を、現代兵器で制した自衛隊。本書は主人公も舞台も転換した第2幕である。主役は海自の潜水艦と潜入要員であり、異世界の大型海棲生物と戦い、中世の櫂船を率いて戦う。正直言って地味な駆け引きである。幼稚と言われようと、中二病と言われようと、ゲートの魅力は「異世界で圧倒的な火力を見せつける」であったと思うので、今のところ、そうした爽快感というか、カタルシスはない。今後の展開に期待だ。


初版2017/07 アルファポリス/ソフトカバー

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書評<徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男>

1994年のJリーグファーストステージを制したサンフレッチェ広島。23年を経た2017年開幕時、その当時の所属選手たちの多くは指導者や監督となり、Jリーグに貢献している。彼らはサンフレッチェの前身であるマツダおよびJ開幕当時のGMであった今西和男がスカウトしてきた男たちであった。日本サッカー界の伝説の一人、今西和男の半生を追うノンフィクション。

サンフレッチェサポーターにとって、今西和男は歴代の選手や監督よりもカリスマ的な存在なのかも知れない。当時としては先進的な戦術を採用する監督を招聘、地方チームに栄冠をもたらしたGM。広島で被爆した今西は脚が不自由なのにも関わらず、ファイト溢れるDFとしてプレイ。引退後もマツダで独身寮の管理人として社会人のキャリアを積んだ彼は、チームに何が必要かを学び、人間味溢れる魅力で人々を率いた。本書の前半は、いわば今西の”栄光への奇跡”かもしれない。
しかし、本書の中心は後半の岐阜FCでの苦難である。縁もゆかりもない土地で、破綻寸前のサッカークラブのGMを引き受け、社長まで務めるものの、財界や政界、果ては”日本サッカー界の発展”という共通目標を持つサッカー協会に翻弄され、最終的に解雇された今西。レジェンドの晩節のキャリアとしては、あまりにも悲痛な事実。地方自治体と地方経済界とJリーグの歪な関係がそこには見てとれる。本書は単なるレジェンドの半生の物語ではなく、告発の一冊である。

初版2016/06 集英社/ハードカバー

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書評<世界の駄っ作機8>

航空機の技術の急速な発達は、多くの傑作機を生むと同時に、多くの駄作機を生んだ。コンピューターによるシミュレーションも、CFDもない時代、手探りで技術開発していた時代の航空機たちを紹介していく。

軍事評論家、岡部いさく氏のライフワーク、第8巻。よくもネタがつきぬものだと思う。本作は「駄作エンジンが駄作機を生む」という法則が当てはまる航空機が多かった気がする。X型16気筒だのH型16気筒だの、ハイテクなんだかよく分からないエンジンたちもまた、技術の発達期ゆえの試行錯誤の結果なのだろう。相変わらず楽しめる1冊である。

初版2017/07 大日本絵画/ハードカバー

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書評<戦争がつくった現代の食卓-軍と加工食品の知られざる関係>

缶詰がナポレオンの欧州遠征のため、保存食が求められ開発されたのはよく知られた歴史だが、現在の我々の食卓にも、軍事用に開発された技術が多く導入されている。プロセスチーズ、長期保存パン、レトルト、エナジーバーといった食品、サランラップやフリーズドライといった食品包装技術は、アメリカ軍のある研究所に起源を持つ。本書はそれらの知られざる歴史を追う。

著者はいわゆる”手作り信仰”ともいえる料理研究家で、子供たちにも学校にサンドイッチなどの昼食を持たせていた。ある日、著者は気づく。学校が給食で提供する、長期保存がきくフリーズドライ食品や冷凍食品の方が、自分の調理する昼食より、栄養価が高いのだ。そこで著者はそれらの食品の起源の取材を始める。その中心には、2つの大戦の戦間期に設けられた陸軍のネイティック研究所と、民間の食品製造業者の協力があった。世界中に長期派遣される兵士たちに、栄養と美味しさを届ける。その技術が、いかに我々の日常に入り込んでいるかを本書は明かしていく。ミリオタならすでに知っている知識も多いが、スーパーに並んでいる加工食品のテクノロジーが実は、長期研究が必要だったことなど、苦難もみてとれる。軍、つまり国家が研究費を提供し、民間業者が研究と製造を進める。アメリカの強さも垣間見ることが出来る1冊である。

初版2017/07 白揚社/ハードカバー

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書評<心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで>

近年、人間をとりまく細菌、寄生生物の研究が進み、注目を集めている。寄生生物に寄生された昆虫が、寄生生物に有利なよう、非常に奇妙で興味深い行動をとることが知られていたが、ネズミなどの哺乳類、はては人間の脳にも細菌が侵入し、人間の行動をコントロールされているという証拠が確実に積み重なりつつある。本書はそうした事実に加え、細菌に対する人間の本能が文化や社会に影響を与えているのではないかという最新の研究を紹介する。

脳に寄生するトキソプラズマが、人間の行動を狂わせ、例えば交通事故などのアクシデントを引き起こしているのではないか?近年、こうした説が真実味を帯び始めている。寄生生物はもちろん以前から研究されているが、それは感情や行動面に変化を与えているというのだ。本書はそうした研究の最前線を追う。それは細菌や寄生生物の直接的な影響だけではなく、細菌に対する嫌悪が社会を変えているのではないかという研究までいきつく。もちろん、何事も寄生生物のせいにするのは物事を単純化し過ぎだが、それでも差別など文化的な側面で語られがちな我々の感情に、多少なりとも影響があるのは確実だろう。本書はそうした科学者たちの見解を紹介していく。

初版2017/05 インターシフト/ハードカバー

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書評<J2&J3 フットボール漫遊記>

Jリーグの魅力はトップリーグのJ1だけではない。むしろ、J2あるいはJ3の方が、それぞれのチームの所在地の歴史と使命を背負い、ユニークで興味深い戦いを続けている。本書はJFL時代から下部リーグをウォッチングしている著者が、J2、J3のチームの現場を訪ね、試合を観戦し、チームのキーマンと会うことによって、それぞれのチームの魅力を解き明かしていく。

著者もあとがきで書いているように、人口減少と地方衰退の時代である。そんな時代に日本には札幌から鹿児島まで、Jリーグのチームが存在すること自体が、奇跡にも思える。現に紹介されるチームのうち、順調に成長してきました、みたいなチームはまったくない。チーム消滅に直面したこともあるチームもある。予算もないのに、地方経済をなんとか盛り上げようとする地域の象徴とされるチームもある。応援する価値のないチームなど存在しないのだ。
当方、J2落ちに常に怯えるチームのサポーターを自認しているが、J2クラブのある地方を漫遊するのも悪くないのではないか、そんなふうに感じさせてくれる一冊である。

初版2017/07 東方出版/ソフトカバー

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書評<宇宙軍陸戦隊 地球連邦の興亡>

植民惑星に降りた学術調査団からの保護要請を受け、地球連邦は国場大尉率いる宇宙軍陸戦隊を救出に派遣する。そこではテラフォーミングが未完成な湿地帯で、想像だにしない内戦が繰り広げられていた。宇宙軍陸戦隊はその双方と接触した後、苦渋の決断を下す。

人類の生存をただ追求する地球連邦政府と宇宙軍。異星人たちとの睨みあいも含めた政治状況から、地球連邦政府は、ある程度の規模の”内戦”を容認していた。前作まではオリジナルとクローンの難しい関係性を描いていたが、本作はそれを超え、遺伝子をいじくり倒した人類の姿をしていない人類と、オリジナルの姿と価値観を守った内戦を描き出す。遠く宇宙に人類が進出するなかで、何をどこまで許容するのか。地球連邦の首脳あるいは現場判断を一任された宇宙軍陸戦隊の隊長になりきり読者が考えるのも面白い。凄惨な戦いを描きながら、最後はカタルシスを描き出す。

本書には、短編ではあるが「シン・ゴジラ」のパロディが収録されている。あの作品の公開時、著者が健在だったことを思うと、やはり哀しい。

初版2017/05 中央公論新社/kindle版

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書評<世界の辺境とハードボイルド室町時代>

日本の歴史の中でももっとも混乱し、ルール無用な世界であった応仁の乱と室町時代。対して、今もほぼ無政府状態にある失敗国家の代表格、ソマリア。混乱続くソマリアで、秩序らしきものがある地域、ソマリランドで取材を重ねた高野秀行氏が「ソマリアは室町時代に似ている」と感じたことから、歴史学者の清水克行氏と対談。見識ある2人のやり取りが時代も地域も違う2つの地域の共通点を相違点を見出していく。

なんだか固い紹介になってしまったが、高野氏の他の著作と同じく、柔らかい文体でありながらも、興味深い文化比較論が展開されていく本書。複数の秩序が重なり合う状況、複雑怪奇な通貨体制、一筋縄ではいかぬ地縁、血縁の繋がり。日本の歴史の中にもあった動乱の状況が、現代のソマリランドと比較することにより、より鮮やかに描き出す。
本書はそうしたソマリアと室町時代の日本を比較するだけではなく、高野秀行氏、清水克行氏それぞれの経歴や文章の書き方などに及ぶ。まったく違う2つの分野の知識の重なり合いが非常に面白い一冊である。

初版2015/08 集英社/Kindle版

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書評<増補新版 イスラーム世界の論じ方>

日本における数少ない中東およびイスラム教の識者、池内恵氏による、評論集。主にイラク戦争前後、2003年~2006年までの期間、自衛隊のサマワ派遣から日本人人質事件など、イスラム世界と日本が急速に関わりを深くした時期に、新聞やオピニオン誌に掲載されたものをまとめたものである。

日本の報道番組に出演する中東、アラブの専門家と呼ばれる人は、過剰に”アラブの代弁者”であることが多い。例えば、中東世界の混乱のすべてを「サイコス=ピコ協定」に始まる欧米の横柄な外交と武力介入に原因を求める態度をとる専門家に対して、本書の著者池内恵氏は過剰にアラブ側に寄ることなく、冷静にイスラムの世界を解説する。著者はコーランとイスラムを最優先とするイスラム世界の行動原理を説き、日本の戦後の主流の価値観(西欧的なキリスト教に根差す倫理観)とは決して相容れないことを指摘する。「信教の自由」一つとっても、イスラム教と他の宗教は平等に並んでいるわけではなく、イスラム教がまずありきであるアラブ世界のルールを、本書では幾度も指摘する。世俗主義の我々の世界とは違う世界があることを、まずもって理解しなければならない。
中東とイスラム世界がトラブルメーカーであることは否定できない昨今、氏の分析をもっと読みたいものだ。


初版/2016/05 中央公論新社/ハードカバー

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